私は、あなたの成長のために課題を送ろう。
「あなた」と呼ぶのは、これを読むひとり一人の意識に伝えているからだ。
すべて「あなた自身」に送っていると受け取ってほしい。
これから伝えるひとつの課題を心に留めて、日々を過ごしてもらいたい。
次の課題までにそれを意識することで、成長と覚醒のステップが踏めるようになっている。
ただし、これはあなたが心から成長を望まない限り意味がない。
エゴの単なる興味から始めるならば、すぐに忘れてしまうだろう。
また、それは成長を止めることになる。急ぐ必要もないし頑張る必要もない。
人には誰でも準備がある。
あなたに成長の準備ができているなら、この内容は自然に頭から離れなくなるだろう。
では、始めよう。
今回の課題は「身体と魂を分けること」だ。
エゴと「思考・感情・身体」はセットだ。
これがプログラムだ。プログラムが起動すると神経伝達物質が体中をかけめぐり、感情や身体に変化を起こす。
魂は思考しない。魂は観察しているのだ。
しかし、多くの人間は思考や感情や身体が自分自身だと思い込んでいる。
その思い込みは妄想であり幻想であるにもかかわらず、それが真実だと思い込んでいるのはプログラムで催眠状態に陥っているからだ。
2種類の妄想がある。
ひとつは、あなた自身についてだ。
成果を望み勝ち負けにこだわる。
美しくあろうと肌や着るものや持ち物にこだわる。
年を取ることをいやがる。
優秀であろうとする。
これらの例は、エゴが望むアイデンティティの創造だ。
また、自分はスピリチュアルだ、ヒーラーだと思い込み、宇宙や自然を大切にしていると伝えたりするのもエゴだ。
これらがうまくいかないと自分はだめだと思ったり、他者を遠ざけたりする。
これらは、本来の自分ではなく見え方、あり方にこだわったエゴの妄想だ。
エゴの考えた自分を作っているだけだ。
もうひとつの妄想は、社会が作った妄想に自分を当てはめようとする生き方だ。
学歴、肩書、家柄、能力、子育て、活動など、社会的妄想を強化する生き方だ。
誰が自分を認めてくれるか、
その数は多いか、
職業や活動を通して誇りを感じるか、
人を援助することで自分は信頼されているか・・・
このような人生の選択はそこに満足感や優越感を満たしてくれるかどうかで判断する。
そして、うまくいかないと劣等感、恐れ、怒りなどの不快感情を抱く。
魂の目で自分を観察してごらん。魂は傷ついていない。
魂は、そんなあなたを見ているだけだと気づくだろう。
エゴが痛みをあなたの身体に伝えているのだ。
エゴは、あなたではない。エゴは単なるシステムなのだ。
では、魂とエゴをどのように区別するか。
その方法を伝えよう。
まず、感情だ。
たとえば、怒り、恐れ、不満で体は痛みを感じ、やる気、喜びなどはエネルギーの高揚を感じる。
魂は、痛みを感じない。
不愉快な出来事からも嬉しい出来事からもすべて学びを得て、そこに喜びがあるという意識を持ったとき、魂は静かに微笑む。
魂は成長と愛にしか興味はない。
雨が降って、ゆううつな感情や考えが起こる。これはエゴだ。
雨が降って、ゆううつな感情に襲われても、雨で潤される山や木々を感じるとそれは喜びに変わる。魂も微笑む。
エゴは自分中心に考える。
魂は、自分を含めようがそうでなかろうが広い視野を持っている。
あなたの人生で雨が降った日も晴れた日もあっただろう。
そこにどんな学びを得てきただろうか。
思い出したくない過去があるならば、あなたは過去の犠牲者になり、その不快感情がエゴの餌になっているということだ。
あなたの魂はそれを見ているだけだろう。
あなたは魂でありエゴではない。あなたは、永遠であり限りある存在ではない。
違いを知ろう。
もうひとつは感覚だ。
人生の選択を迫られるとき、エゴは頭の中を思考で満たす。
損か得か、どんなリスクがあるか、誰が理解してくれるか、助けてくれる人はいるかなど、うるさいほどだ。
あなたは過去に、嫌だけどやらないと先に進めないような感覚、また、やりたいのに、しない方がいいような感覚に襲われたことはあるだろう。
その感覚を無視したとき、うまくいかなかったはずだ。
思い出してほしい。
魂が人生の方向を示すとき、理由なくそっと背中を押す。
理由がない。しかし、感じる。
エゴは理由がいる。そして焦り、混乱し、迷う。
あなたに準備ができていると感じれば、あなたの中にいるもうひとりの沈黙の観察者になって自分を見る練習をしてごらん。
もうひとりの「あなた」をあなたの世界に招き入れてごらん。
そうすることで毎日の感じ方が変わってくる。それを味わってごらん。
瞬間、瞬間に。